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鎌倉幕府の成立は1192年ではないという説が有力になっていますが、どのような根拠にもとづいているのですか。

 鎌倉幕府が開かれた年は、「いい国つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせがあるように、源頼朝が征夷大将軍となった1192年とする説が広く知られていました。しかし、近年では鎌倉幕府を構成する組織が1180年から徐々に設置されるなど、1192年までの間に段階を踏んで整えられていったと考えられています。1192年は成立ではなく、鎌倉幕府という組織の基本形態が名実ともに「完成した」という見方が優勢になっています。

そのため教科書では、このような近年の見方に基づき、年表で平安時代と鎌倉時代の境界を斜め線で表すなど、鎌倉幕府の成立年を単独の年に求めるのではなく、段階を踏んで「完成した」ととらえています。

参考までに1180年から1192年の鎌倉幕府に関するおもな動きは以下の①~⑥のようになっています。

①1180年:頼朝が東国支配を樹立(富士川の戦いでの勝利など)し、鎌倉を本拠地に侍所を設置した

②1183年:朝廷より頼朝の東国支配権を承認する宣旨が下された

③1184年:公文所(のちの政所)・問注所を開設した

④1185年:守護・地頭を設置した

⑤1190年:頼朝が右大将(右近衛大将)、日本国総追捕使・総地頭となった

⑥1192年:頼朝が征夷大将軍となった

 『国史大辞典3』(吉川弘文館)によると、鎌倉幕府という呼称が学術上の概念として用いられはじめたのは明治20年ごろからです。征夷大将軍を首長とする政権を幕府とよぶようになったのは江戸時代後期からとされており、「○○幕府」という呼称は鎌倉・室町時代の武家政権が続いたことによって成立した呼称と考えられています。

 このように、今日の「征夷大将軍になる=幕府が成立する」という考えは江戸時代後期に誕生し、鎌倉時代にはなかった考え方であること、また実質的な組織はそれ以前から成立していたことなどから「征夷大将軍となる(1192年)=幕府が成立する」とは考えられなくなっています。

 また、元来中国の古典で「将軍の陣営」を意味する「幕府」という言葉が、征夷大将軍とセットで使用されるようになった背景には、「幕府」が右近衛大将の中国名であり、右近衛大将に任じられた頼朝がやがて征夷大将軍になったことに由来すると言われています。

参考文献:国史大辞典編集委員会『国史大辞典3 か』 吉川弘文館 1983年