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「大和朝廷」ではなく、「ヤマト王権」という用語を使うのはなぜですか。
「ヤマト王権」は、3世紀後半以降から奈良盆地に成立した、のちの大王を中心とする豪族たちのゆるやかな連合勢力のことをいいます。この政治体制を示す用語として、「大和朝廷」が一般的に用いられています。しかし、「朝廷」という言葉には、天皇と貴族による中央集権政治という意味合いが含まれることが多く、成立当初、まだ「朝廷」という語にふさわしい政治制度をもっていなかったこの豪族の連合勢力に、「朝廷」を使用することは学界でも疑問がもたれるようになりました。このため「朝廷」を用いずに、王と諸豪族の貢納・奉仕を媒体とした当時の人間的関係を踏まえて、「王権」という語を用いるようにしました。
なお、ヤマト王権は、中国大陸との関わり合いなどを通じて、しだいに制度を整え、8世紀初頭の律令制度の施行でその制度は一つの到達点をむかえました。そのため、弊社では、この時期から「朝廷」という語を使用するようにしています。
次に「ヤマト」王権の「ヤマト」というカタカナの表記についてですが、「ヤマト」は現在の奈良県地域を示す地域名称として用いられており、この政治体制が存続した時代には、倭・大和・大養徳などと様々な漢字で表記されてきました。その一方で、「大和」という国名は、8世紀初頭から前半の『古事記』『日本書紀』では使用されておらず、8世紀中ごろに施行された『養老令』から、広く「大和」国と使用されるようになりました。さらに、「倭」は、中国で日本の総称として用いられていました。そのため、地域名称としての「ヤマト」を表す場合、国名の「倭」や「大和」との混同を避けるために、カタカナでその音を表しています。
なお、高等学校の日本史教科書でも、「ヤマト」とカタカナで表記されております。また、「朝廷」の文字も使われず、7世紀後半までは、「政権」「王権」で表記されています。