〈福島県立橘高等学校 松浦 健人〉
 
 パロの青空市場    ブータン1の交差点
 
 首都ティンプー遠影    ティンプー大仏は異彩を放つ
ブータン周辺地図
 「国民総幸福量世界一」「インドと中国にはさまれた,アジア最後の秘境」「若き国王が慰霊のために来日」等々,近年何かと注目されるようになったブータン。私にとって未訪問の国の一つであった。機会を得て2015年1月,世界で最も離着陸が難しいとされるブータン唯一の国際空港であるパロ空港に私は到着した。
 空港から最初に行ったのは地元の市場(写真①)であった。東南アジアでよく目にするような雰囲気の青空市場である。庶民の雰囲気を知るために初めての国では必ず訪れる場所だ。私はそこを一通り見て回ったが,誰も話しかけてこないことにちょっとした違和感を覚えた。
 いわゆる先進国以外では,そのような庶民が集まるところに異邦人である私がいくと,すぐに声をかけられたり,「写真を撮ってくれ」という群衆に囲まれたりするのが普通である。しかし,ここブータンでは誰も私に興味を示さない。たまに目があう人にあいさつをするも,そっけない返答で会話は生まれない。もちろん,ほかに外国人観光客がたくさんいるわけでもないのに。
 ガイドによると,この国の人は外国人慣れしていないうえに,人見知り,恥ずかしがり屋が多いということだった。事実,その後首都ティンプーの繁華街を一人歩きしたことがあったが,その際も誰1人フレンドリーな対応をしてくることはなかった。

 市場を後にした私たちは,次に首都ティンプーをめざした。谷川に沿った悪路を越えて昼すぎに首都に到着した。そこはまるで中世にタイムスリップしたかのような町なみで,21世紀の現在に,このような町なみが遺跡としてではなく,人々の生活の中に残っていることに感動を覚えた。
 町の中心の交差点には信号はなく,警察官が行き交う車をさばいていた(写真②)。ここには元々は信号があったのだが,国王が「信号はブータンの雰囲気にそぐわない」との理由で廃止したのだという。その後,タシチョ・ゾン(国王執務宮殿)やメモリアル・チョルテン(第3代国王記念仏塔)など,ブータンらしい宮殿や寺院を見た後,夕陽を鑑賞するために登った丘の上(写真③)には,大仏(写真④)があった。これはほかのブータンの名勝とは雰囲気が違い,極めて普通な黄金の大仏であった。私はその違和感をガイドにたずねたが,その返答が印象的であった。
 「これは中国企業がつくったものだ。それがティンプーを見下ろす丘の上にある」
 私は中国が小さな国ブータンにも圧力をかけ,領土問題が勃発していることを知っていた。
 ガイドは続けて言った。「中国はこうして経済力でブータンを飲み込もうとしている。だからこの大仏はそういう中国の象徴でもある。ブータン人は苦々しく思っているが,どうすることもできないんだ」
 ブータンがおかれた現状,そして悔しさ,しかし守るべき誇り・・・
 さまざまな感情を,夕陽に染まった彼の表情から読み取ることができた。

 ブータン・アーチェリー
おはじきのようなビリヤードのような・・・
マニ車をまわすおばあちゃんと孫(とテレビ)
 カンチェンジュンガ(8586m)
 コルカタの路上で入浴!?
 マザー=テレサのお墓に祈る女性
 2日目は,ティンプーからパロ方面に戻り,ブータン観光のハイライト・タクツァン僧院を観光(登山)した。
その後,夕方ホテル近くの田舎道を一人歩いていたら,子供たちがブータン・アーチェリー(写真⑤)に興じていた。ブータンの国技である。日本の弓道を嗜む私としてはぜひとも体験してみたい。しかし前述のように,ブータン人は異邦人によそよそしく,それは子供も同じであった。
 おもむろに近づき,声をかけてみる。戸惑う彼らに,まずは私が弓道をやっている動画を見せ,アーチェリーをやらせてくれと懇願した(ブータンでは英会話教育が施されており,子供でも英語を話すことができる)。
 なんとなく,彼らの遊びの輪に私も交ざってもよいという雰囲気になってきた。改めてブータン・アーチェリーのやり方を見てみると,日本の弓道や西洋式アーチェリーとの違いが見えてきた。
 例えば,弓道は弓の右側に,西洋式は左側に矢を通して射るが,ブータン式ではどちらでもよいらしい。また,弓道は右手を頭の後ろまで引き込み,「口割り」と言って矢を上唇に合わせて狙いを合わせるが,ブータン式は西洋式と同様,右手で引き込むのは顔の前までで,矢は顎や顔よりも下で狙いを定めるようだ。
 何本か弓を引いたが,私は的(段ボール箱)にあてることはできなかった。しかし,アーチェリーのみならず,ブータン式の「おはじき」(写真⑥)や,野原でのかけっこなど,私も童心に返って遊び回った。
 世界各国どことも変わらない子供たちの屈託のない笑顔に囲まれ,濃密で貴重な時間を共有でき,旅を彩るのは人と人との交流であると,改めて実感できた。
 最後の夜は,ブータン伝統の「石焼き風呂」を堪能した。「ドツォ」とよばれるそれは,水を張ったお風呂に高熱の石をいくつも投入して一気に加熱して入浴するものである。
 ドツォは一般家庭で体験するのであるが,準備をしている間,ちょっとだけそのご家庭にお邪魔した。
 家族だんらんの場所には歴代国王の肖像画や写真が飾ってあり,奥の間には神聖な祭壇もあった。ガイドによると,これはどの家庭にもあるのだという。
 もちろん,そのご家族も恥ずかしがり屋で,気さくな感じではなかったが,それでも伝わる家庭的な優しさ・温かさが私を笑顔にさせた。
 そして,テレビを見ながらマニ車をまわすおばあちゃんや,彼女に甘える孫娘の姿が印象的であった(写真⑦)。もう名前は忘れてしまったが,いり卵を入れた皿にお酒を入れてのむというブータン独自のお酒も旅のよきスパイスであった。

 こうして,私のブータン旅行の全行程は終了した。インドへの機上でヒマラヤをながめながら(写真⑧)私は思索した。
 「国民幸福量世界1位」とは何なのだろう。幸せかどうかはあくまで主観であるので,一概には言えない。
 ガイドは言っていた。「日本は豊かで進んでいる。ひじょうに便利だ。だから,ブータンよりも日本のほうが幸せだろう。ブータンは貧しいし,働いても給料が安い。ブータンは,国(政府)が幸せだと言っているにすぎない」と。
 となると結局は,「隣の芝生は青く見える」的な感覚は人類に普遍的なもので,多くの人があまり知らない国が「国民幸福量世界1位」とうたっているのを見て,幸せの幻影をここに重ねているだけにすぎないのか。そう考えれば考えるほど,幸せってなんなのか,わからなくなってきた。
 このようなことを考えながら,コルカタ空港からマザー=テレサのお墓がある「マザーハウス」に向かった。「幸せって何だろう」,その答えをテレサからも聞きたかったのだ。
 コルカタ空港で正規のプリペイドタクシー(政府の公定料金である総額約280ルピー=約500円を正規カウンターで前払い)に乗った。
 インドでは,あらゆる乗り物は常にクラクションを鳴らしながら走る。ブータンとは比べようもない(けん)(そう)の中,渋滞に巻き込まれながらも1時間後にマザーハウス付近に着いた。
 私がタクシーから下車する際,インド人タクシードライバーは言った。 「ちゃんと目的地に着いたのだから,追加料金1500ルピー(約2800円)を払え! チップもくれ! そうじゃないと降ろさないぞ」
 私の安らかな気持ちは一気に()(さん)した。
 しかし,そうかと思うと,その100m先では,道路上で体を洗っていた少年が,幸せそうな泡だらけの笑顔(写真⑨)で私に言う。 「今入浴中だ。きれいなこの姿をお前のカメラで撮ってくれ!」
 そして,その脇にある,静寂に包まれた祈りの場所・マザーハウス(写真⑩)。
 幸せって,何だろう。よくわからないが,この旅で行き着いた答えは,一つ。
 「しあわせはいつも,じぶんのこころがきめる」
 相田みつをの言葉がふと頭にうかんだ。