〈写真・文 静岡県立掛川東高等学校 藤森 数正〉
はじめに
 ここは「世界各地の写真とレポートを掲載」するコーナーだが,小稿の旅先は日本国の首都東京だ。とはいえご覧のように,あたかも海外で撮影したかのような写真が並んでいる。海外渡航しなくても,世界の宗教のありようを実感することができるのだ。今回紹介するエリアは都内に限ったが,同様の施設は全国各地にある。以下は2015年1月に,同僚とともに訪れた際の写真とレポートである。

シク教

 
寺院ではターバンの代わりにスカーフを巻く男性もみられる   聖典をよむシングさん
 
女性は祭壇に向かって左,男性は右に座る   ランガルはレディファースト
 
本場アムリットサルのランガル(2007年)    
連絡先…シク教寺院のウェブサイト(http://sikhjapanese.blogspot.jp/p/blog-page.html
またはfacebookページ(Sikhi in Japan)から

イスラーム

 
モスクの外観 ミナレットがそびえたつ   モスク内部のようす
 
多くの国籍の信徒(ムスリム)が集う   礼拝堂に入りきらないほどの人出
連絡先…東京ジャーミー・トルコ文化センター(http://www.tokyocamii.org/ja/

ユダヤ教

 
コーシャ認定を行った日本酒を持つラビ
 東北の被災地支援活動の一環でもある
  サバト(安息日)開始前からつけ放しにしているガスコンロの火
 
子どもとともに祈祷を行うラビ   サバトの終わりの儀式
連絡先…ハバッドハウス(http://www.chabadjapan.org/indexj.htm

写真について ②~④は茗荷谷シク教寺院のシング君からの提供,その他は筆者が撮影

シク教(文京区)

 東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩5分ほどに,インドビザ申請センターのあるビルがある。シク教寺院はその地下1階にあり,外観からは気づきにくい。入り口に橙色のスカーフが置いてあるので,われわれはターバンの代わりに頭に巻く(写真①)。
 シク教寺院は元来神戸にしかなかったが,日本に滞在・居住するシク教徒のために,東京に1999年に創立された。自ら儀式を執り行うシングさん(写真②)は普段は料理店に勤務しており,寺院は一家ら有志による寄付で運営されている。息子のシング君は,日本生まれ・日本育ちの中学生(訪問時)で,ユーモアたっぷりの説明であたたかく迎えてくれる。
 シング君はシク教についてこのように語ってくれた。
 「イスラームやヒンドゥー教に影響を受けたとよく説明されるが,まったく新しい信仰だと考えています」「シク教の格好がインド人全体と思われているがそうではありません」
  祈祷は聖典『グル・グラント・サーヒブ』の朗唱と,聖歌の合唱も加え約2時間。
  祈祷後には,カースト否定の象徴として「ランガル」という食事会が行われる(写真③④)。カラーパルシャードという甘いお菓子を聖餐としていただいた後,チャパティー,パコラ(揚げ料理),ヨーグルトと果物や豆のスープ料理がふるまわれる。筆者は本山のインド・アムリットサルの黄金寺院でも体験したが(写真⑤),ここ東京でも本山と同様におかわり自由である。シング君は「寺院でお祈りやランガル等の奉仕活動をしていると,新鮮な気持ちになり,やりがいを感じます」と話してくれた。

イスラーム(渋谷区)
 代々木上原駅から徒歩10分の街道沿いの住宅地に「東京ジャーミー」というモスクがある。その偉容と繊細な内部装飾からは「東アジアで最も美しいモスク」との呼び声も高い(写真⑥⑦)。
 この日は広報担当で日本人ムスリムの下山茂氏にガイドをしていただいた。金曜礼拝の日にあたり,昼の礼拝後にはランチもふるまわれ,トルコ人・インドネシア人を中心にモスクからあふれかえるほどの人出だった(写真⑧)。
  モスクは1938年に,ロシア革命後に迫害を逃れ渡日したタタール人によって建設され,2000年に同地に再建,現在はトルコ大使館の所属となっている。
 下山氏は次のように話す。「メディアの影響も大きく,イスラームの本質を説明できる日本人は少ない。イスラームは平等の宗教です」「教育関係者の方にも,もっと気軽に見に来てほしい」。
  開祖ムハンマドの生誕日でもあったこの日,われわれは1日5回のうち4回の礼拝に参加し,許可を得て列に入り集団礼拝も体験させていただいた(写真⑨)。

ユダヤ教(大田区)
 ユダヤ教のシナゴーグは東京にいくつかあるが,私が訪ねたのは大森貝塚からほど近いところにあるユダヤ教のシナゴーグ「ハバッドハウス」だ。住宅地にあり,外からみると普通の日本の民家そのものだ。
  訪問するや,あたたかく迎えてくださるのは,黒い帽子に黒いスーツ・長いひげの格好で,ユーモアたっぷりのラビ(ユダヤ教の聖職者)であるビンヨミン・エデリさん(写真⑩),笑顔が素敵な夫人エフラット・エデリさんと7人の子どもたち。この日は土曜日で「サバト(安息日)」にあたる。安息日には火の使用が禁じられているので,前日に調理したものかとろ火(写真⑪)で仕込み続けた料理を,ユダヤパンとともにいただく(電子機器の使用も「スイッチを押すときに内部で発火している」という考えから禁止されている)。お祈りをしたり(写真⑫)聖歌を歌ったり談笑したりと,ゆったりとした時間が流れる。エフラットさんは「ユダヤ教は信仰というよりむしろ生活のすべて」と,ユダヤ教が教育を重んじていることを説明された。
  1日の終わりである日没に先立って,ラビはハブダラというワインとろうそくを用いた儀式を行う(写真⑬)。その後「シャブア・トーブ(よき週を!)」と交わしながら,輪になり聖歌を歌って踊る(1。これがサバト明けの儀式だ。
  ユダヤ教には「適正食品規定」(コーシャ)があるため,来日したユダヤ人らがウェブサイト等で情報を得て食事を求めひっきりなしに訪れていた。


結びにかえて
 「宗教」について授業であつかうのは,なかなか一筋縄ではないだろう。まして,日本人の無意識のうちの宗教観に加え,メディアから受ける情報にも大きな影響力がある。
 宗教学者の藤原聖子氏は,その困難の構図を次のようにスケッチする。

  「倫理や現代社会の教科書は「宗教は本質的に愛の教えだ」と説き,他方,地理の教科書は世界の宗教紛争を取り上げ,「宗教の違いはよく対立の原因となる」。その間をつなげる教育がどの科目でもなされていないのである。」(2

  今年に入ってから小稿を執筆(2015年5月)するまでに,特定の宗教との関連性を主張した過激な事件が何度もニュースにのぼっては,去っていった。教室の子どもたちにとってその一つ一つが,特定の宗教や海外の人々に対する「かかわりたくないもの」,「理解しがたいもの」という認識を深める結果になっているように感じざるをえない。
  だが,スマホやテレビの画面の向こう側ではなく,実際の人とのかかわりを通して初めて実感できる見方や考え方もある。わからないことがあれば,実際に聞いてみればいい。耳を傾け,率直に語ってくれる方も多い。生徒たちとの質問のやりとりを行ったことがあるが,当然ながら「わからなさ」も残る。同時に,今まで気づかなかった自分自身にとっての「あたりまえ」の考えにも気づくだろう。その「あたりまえ」と「わからなさ」をどのようにかかわらせていくか,それが異文化理解の出発点になっていくと思う(3。国内で海外宗教を実感するための手だてを設定するたびに,筆者自身もそのようなことを改めて考えさせられる。いきなり実践に移す前に,研修の一環として交流するのも手だ。
 さて,実践にあたっては,勤務校の交通アクセスの都合上,メールによる質問の交換,ビデオ出演やインターネットを利用した中継を試みた。なお,①これらの場所が,在留外国人や帰化された方,日本への訪問者にとってのコミュニティとして機能している側面をもつこと,②現代社会にあって,信仰の形態や内実も,個人や社会的背景・地域によってさまざまな差がみられるということ等にもふれるとよい。そのうえで,単に「交流しただけ」に陥らないよう,一つの宗教を多面的な見方で学んだり,複数の宗教を地理的事象とも関連づけて多角的に考えたりするなかで,時機を選び効果的に単元へ組み込んでいく必要があるだろう。
  いずれの場所も,電話またはメールで連絡をとることが可能だ(ユダヤ教のハバッドハウスのみ英語による連絡となるが,やさしい日本語ならコミュニケーションできる)。シク教寺院のランガルは日曜日(詳細はウェブサイトを参照)のみ。東京ジャーミーは集団向けガイドも実施している。いずれの方々も,生徒との交流だけでなく,教育関係者の訪問や連絡を歓迎している。

(1 ミルトス編集部編『やさしいユダヤ教Q&A』(ミルトス,1997年)p.110
(2 藤原聖子『教科書の中の宗教−この奇妙な実態』(岩波新書,2011年),p.198
(3 この点については,池内恵「「異文化理解」に欠けているもの」『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社,2008年)所収,pp.243-245の指摘が明快である。